大阪ひろいよみ

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歴史の散歩道「史跡遊歩道」

 「大阪史跡連絡遊歩道計画」というものが昭和50年頃にでき、写真のようなシンボル柱が市内のあちらこちらに建てられた。

 真ん中の丸いマークは、樹木と発掘遺跡などを象徴する瓦であり、こういったものたちを美しく守っていこう、という計画だったろうと思う。

 がしかし、今日、シンボルがこんな感じで、汚れや落書きで悲惨な面持ちになっていることから推し量られるように、どこの「史跡遊歩道」もおおむね、けっこう悲惨な状況になっているなあと感じる、個人的には。

  それで、よく知らない人を史跡散歩に誘ったりは、しにくい。

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その現状の問題はともかくとして、

この上の写真のシンボルのばあいなど、もともと、存在する場所そのものが「史跡の地」と言われても、ちょっとどうなの?という印象ではないかな(写真が小さくてわからないかもしれないので言ってしまうと、いわゆるラブホ街)

  、、とか、若い頃には思ってしまっていたのだが、これが、だんだんややこしくこのあたりの歴史を知るにつけ、この状況も含めてまさにこれがこの地の歴史なんだな、とつくづく納得するようにはなった。

 

 自転車が邪魔で見えにくいが、いちばん上には「→竹本座跡」とある。竹本座は浄瑠璃の小屋だったところで、つまりこの写真の右のほうが芝居小屋の並んだ道頓堀。で、この写真は「芝居裏」と呼ばれたところの端緒あたりになる。芝居裏は歓楽街の裏通りであり、ややこしい休憩場所などが立ち並びやすい。

 

 実は、このあたりにほど近い小学校に通っていたのだけれど、その頃はまだラブホ街ではなくて、こどもの目には「ちいさな旅館?」と思われる風情の家が並んでいた。竹本座の時代からの空気をずっと受け継いできての今日だ。