「大阪史跡連絡遊歩道計画」というものが昭和50年頃にでき、写真のようなシンボル柱が市内のあちらこちらに建てられた。 真ん中の丸いマークは、樹木と発掘遺跡などを象徴する瓦であり、こういったものたちを美しく守っていこう、という計画だったろうと思う…
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