大阪ひろいよみ

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「無縁声声」平井正治を読む

 新版の冒頭前書きで高村薫さんが、釜ヶ崎に近い所で生まれて幼いうちに越したが原風景に阿倍野界隈にみたものがあると書いておられる。彼女とは反対側になる難波圏だが、私もわりと釜ヶ崎に近い所で育った。

 ずっと前に使った写真の使いまわしだが、この右端のおじさん、リヤカーに段ボールを集めて運んでいる。昔はもっと派手に積んだおじさんたちがここいら歩いていた。それは日常で、ここらの子供の私はとくになにも考えなかったが、彼らは何者かというならば「クズやさん」なんだろうとは思っていた。ただ、随分たくさんのクズやさんがずいぶんたくさんのクズを運んでいるなという印象はあった。

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 向こうの通り松屋町筋を越すと上町台地。見えているのは大蓮寺という寺経営の幼稚園。大昔ははここに寺の鐘が見えていて、ここは鐘筋といった。ここから南=右側に数百メートル行ったあたりに、釜ヶ崎と呼ばれた街はある。そこにおじさんらの集めた山もりの段ボールを買う「寄せ屋」がある。

 平井さんは主に港湾労働者だったが、廃品回収をすることもあったそうで、「寄せ屋」の説明も詳しい。

 

 この本、最初に読んだときは、冒頭いきなり「四〇年ぶりに明かす話なんですけど、僕、平井やないんです。」というのに驚かされた。え?戸籍のない人なのか、と思ってしまった。よくよく考えればそうではなく、戦後の住民登録法という制度にさからってそのまま住民登録をしなかったということだった。つまり、住民票がないだけで、戸籍がないわけではない。ただ戸籍とそれにまつわる来歴を、捨てて、平井になったということだ。

 そういう人ならば、釜ヶ崎には他にも普通におられるだろう。最近では彼らにコロナ予防注射をどうやれば受けてもらえるのかというようなことが問題になっていたりする。だから、平井さんが実は平井さんでないのは、そんなにも驚くことではなかった。

 丁稚奉公先から逃走する戦前の生い立ち、海軍から復員後の共産党との出会いと別れ、そして釜ヶ崎へ、という人生の変遷に沿って語られる大阪という産業都市の裏歴史

が圧巻で、驚きだ。体験+知識。底辺労働者たちの存在と、それなくしては成り立たなかった都市の歴史が、大量の知識によって語られる書籍はいくらもあるだろうが、まず体験がベースというのが他には得られない貴重さだ。

 

 この本では、古い昔や戦前のことなどで知らなかったことをいくつも知らされたけれど、なんと、自分がええ大人だった時代の知らなかった「天王寺博覧会」のことも、この本で知って自分でも知らなかったことに驚いた。なにそれ?そんなんあった?

 なんで知らなかったのか?いや忘れてしまっていたのか?謎。

 1987年の開催らしい。うーん?仕事忙しかった?

 この博覧会のために、公園の木がみななくなって、図書館もなくなって、美術館は中止だったらしい。で、公園は、博覧会の赤字解消のために有料になった。そして、公園の野宿者は追い出されて四天王寺に行ったが、四恩の地だったはずの四天王寺文化財保護のため門を閉めた。

 というような博覧会だったらしい。そういえば、私、90年代近くになって、昼間でも時間が空くことがある仕事になって、久しぶりに天王寺美術館にも行くようになって、公園が有料になっていることをはじめて知って驚いたんだった。公園は、すっきり綺麗なのかもしれないが、あんまりいい感じではない変化を遂げていた。あれは、そういう状況で起こったことだったのか。

 しかし、知らなかったとしても或いは知ってはいたけどすっかり忘却したのだとしても、大阪人であってしかも決して催し等に関心がないわけではない自分が、なにそれ?と思う博覧会って、すごいな。子供主体のものだったらしいが、それにしても。

 検索してみたが、博覧会キャラクターにもまったく記憶がない。