生玉公園地下壕
先に、生玉富士というのがこのあたりにあったらしい、と書いた生玉公園西口の崖だが、その下には実はトンネル状に掘られた地下壕があり、それが旧陸軍に関係した防空壕であると言われており、1991年に、閉鎖されていた壕の口を開けて公開され、見学調査されたということだ。
壕の内部はアーチ状コンクリート造り 幅9メートル 高さ6.5メートル 長さ24メートル という大きなもので、2階立てつくりになっていたもよう。
戦争初期の新聞にこういった防空壕を作る予定だという記事があるので、秘密裏に作っていたというわけではなく、しかし、一般に使用されたというわけでもなく、その後何十年も人々に知られず眠っていた。
このあたりは、空襲ですっかり焼け野原になった。この生玉公園の傍といってもよいような所に住んでいたうちの身内などはすでにおおむね疎開していたらしいが、残っていた人々はどこに逃げたのだろうか。
町の中に戦争の残骸がたくさんまだまだ眠っているらしい。
ー写真は「大阪の歴史」36(大阪市史編纂所)よりー