はたてくらばし(端建蔵橋)
ブログ生活復活!!
「泥の川」という小説に出てくる土地のありさまがよくわからなかった。
ややこしい。
ややこしいてわからんな、と思いながらも何十年も放置していたが、昨年?か?・・・車でたまたま通りがかった折に降りて歩いてみたのだった。
もちろん「泥の河」の記念碑をはじめとして、いろいろ写真は撮ったのだが、いまひとつ、ぜひともアップしようとも思えない。殺風景なので。
それでもまあ、橋の写真でもひとつふたつ。
小説にはいくつも橋の名前がでてくる。川の名と橋の名がいろいろあって、どうなっているのか読んだだけではもうひとつよくわからない。そしてまた、それらの橋のなかでも「端建蔵橋」という橋の名前が意味不明で不思議だった。蔵とつくくらいだし、なにか由緒があるのか?とも思っていたが、わかってみると、これも明治になってできた橋だった。
中之島は蔵屋敷の立ち並ぶところで、町外れである西の端っこまでも蔵は立っており、そういうところに架かる橋だから、この名前なんだそうだ。
こんな端っこまで蔵が建っとるなあ、という意味の名前なのだ。誰が考えた名前なんだろう。状況まんまで面白い。
はたてくらばしは、いろいろと被災しているが、そのたび架けなおされ、最終的には昭和38年にかさ上げ工事されて今の強い橋になった。東京オリンピックの前年だ。「泥の河」はそれよりまだまだ終戦直後寄りの時代なので、話の中の橋と今の橋は違っているわけで、風景ももうずいぶん違っているのだろう。
このあたりの風景は小説が描いている時代とはすっかり変わった。と、よくその時代のこのあたりを知っているらしき人が言う。けれど、その時代のこのあたりを見ていない私には、ここは今でも十分に「泥の河」なところ。橋や道路は近代的になっていても、空気が残っているようで、あの小説世界との違和感なし。
とはいえ、おばけ鯉が出そうにはないものの、
なぜかかき船のいる風景はあったりの、この橋は「昭和橋」??
やっぱりややこしいのでよくわからない。行ってみたのに。