大阪ひろいよみ

 きまぐれ大阪雑談まとまりはありません

心斎橋大丸の石灯籠 (大坂から大阪へ)

f:id:biloba:20160110194146j:plain

                      ▲表紙絵は慶応4年の大阪城炎上 

 

「阪」という字は何に使う?

 「大坂」という表記がいつ「大阪」に変わったのか、どうして変わったのか、という、どうでもよさそうながら気になる問い。決定的な証拠ある正解は今のところ無いらしい。江戸の末期に「土に反る」という意になるのをきらって「阪」を使い始めたという説が有力。ネット検索するとこの説を中心とした解説がたくさん見つかる。

 

 私自身は、そもそもこの「阪」という漢字はいったいなんなのか?!ということのほうが、気になっていた。この漢字は「大阪」という地名以外に一般に使われていることがあるだろうか?

 考えてみると「三重県松阪市」も「阪」だ。そのほか人名がいくらかある。他には無い。一見ありきたりに見える字なので気が付かなかったが「阪」は埼玉の「埼」と同じく特定地名や人名表記にしか使われていない漢字なのだ。

 

「阪」と「坂」は意味は同じ。辞書によると「阪」のほうが「坂」の本字であったらしい。中国には「阪泉」という伝説の戦いの地があるらしい。しかしこれも地名だし、中国でもこの字は一般にそう使われてはいなかったのではないか。中国語を知らないし漢文にも疎いが、辞書の表記内容から類推してそう考える。

 

なのに誰がどこからこんな字を引っ張り出してきたのだろう?それが不思議だ。もしかして素人の単なる思いつき? ・・「土へんはどうもいかんなあ。こざとへんでおんなじような字があるんと違うか?」とかそんな感じ。そういうことありそう。そんな気が前々からしていたのだが、その思いを更に強くする自分にとっては新発見の事項が、この「史陽選集43」の中にはあった。

 

 心斎橋大丸の石灯籠

なにしろ「阪」は幕末の頃から使われ始め、維新後も「阪」と「坂」の共存が続いていたらしい。べつに維新になって、これからは「大阪」に決定だ!というようなことになったわけでもないようだ。なんとなーく少しずつ大坂から大阪になっていったらしい。これが「思いつきが始まりかも」と考える要因のひとつ。そして今回の新発見事項で、その考えが強力になった。

 

「史陽選集43」に書かれた<大坂から大阪>の変遷を以下にまとめてみる。

 

1498年の蓮如上人の書き物に「生玉ノ庄内大坂に坊舎を建立」とある(石山本願寺の元である)。これは今の中央区法円坂あたりで「大坂」はそのあたりにあった坂の名前である。「小坂(おさか)」と書かれた文献もある。

   ↓

時代くだり戦乱の後、石山本願寺の地は豊臣のものとなり、城がつくられる。

そのとき「生玉ノ庄」にあった生玉神社を天王寺のほうに移転させた(現在の生国玉神社)ので、生玉の地名もここからは去り、あとに残ったのは「大坂」という坂。それで大坂城と名付けた。

   ↓

のち、江戸時代の文学者等すべて「大坂」と表記している。

   ↓

いっぽう「大阪」のほうの初見は、京都滝尾神社内の石灯籠の彫文字「大阪店内」(1802年)である。「大阪店内」というのは心斎橋大丸のことだ。(滝尾神社は大丸の創始者・下村彦右衛門が熱心に参り、のち下村一族の資産で立派に整備された神社)

そして、この4年後に出版された地図にも「摂州大阪地図」とある。

これらに関して「摂陽落穂集」(1808)の筆者が、土へんの坂は「土にかえる」の意になるのを忌み嫌って「阪」としたらしい、という説を紹介。

 

これこれ、この「心斎橋大丸」石灯籠が、この本での発見だ。

ほかは既にどこかで読んだ話だったが、これは初耳だった。

 

最初に書いたとおり「土にかえる」をきらったというのは有力説であるわけだが、根拠がいまいちわからなかったので「ほんまかな?誰がやった?」と思っていた。しかし、この心斎橋大丸の話を知ると、まさに「そうか!ならそれに違いない!」と思われることだ。近鉄国鉄が「金を失う」との意になるのを忌み嫌って金偏に「矢」という字を使っていたのと同じセンスであり、たいへんありそうな話だ。

 

心斎橋大丸の広報か何かの人か、あるいは石の彫師かが、いちばん最初に「大阪」と書いたのだったかどうかはわからないが、そういった大丸石灯籠関係者の誰かが「大坂より大阪のほうがええな」と思ったのは確かなのではないだろうか。その際「阪」の字の持つ意味を知っていたかあるいはよく知らなかったら調べたかしたと思うが、まあ同じような意味やし、ええやろ、ということで使ったのではないか。

 

「阪」の「坂」との意味の違いを、敢えて何か探していうならば「こざとへん」だ。「こざとへん」は丘や盛り土を表す。まあ、それもあるし、こっちのほうがええやろ、ということだったのではないか。だとすると、結局それ以上に深い意味はなさそうな気がするのだ。

 

でも、平気で歴史的地名を廃棄する為政者などが強引に変えたわけではなく、やがて時間が経つ中で民間でぼちぼちと変わっていったということのようなので、よかったのではないか。「大阪」OK。

 

ところで松阪は大坂が大阪になったのに倣って松阪にしたというが、これもネット情報。ほんとだろうか。阪は実用例がなさそうなのにえらく「良い字」と思われていたみたいだな。やっぱり「なんだろうこの字は?」の謎は消えない。

★★

なお、この本が地名の表記について書いているのは、実は、最後の10ページほどだけだ。開城から新政府の立ち上がりへと向かう混乱の時代の大坂=大阪の為政の様が本題である。堺事件、大阪が首都になっていたかもしれなかった話、川口居留地の様子、などなど。