出入橋
梅田のはずれにひっそり残る「出入橋」欄干のみで川は無し
八百八橋と言われた浪速の橋ばし
ひとつひとつそれぞれに 古来からの堂堂の歴史物語が ある
・・ものなんだけれど この「出入橋」の歴史は
なぜだか聞いたことがなかった
曽根崎新地蜆川あたりという風情ある場所だというのに
名前もなんだか由緒ありげなのに なんで?
きんつば屋の代名詞になってしまったせい?
そういうわけでは なかった
実は「出入橋」は
明治になってからできたのだった
だからとうぜん歴史時代の逸話はない
歴史時代から市街の水運が発達していた大阪
これからは陸運だ!という新時代を迎えても
いまだ川や掘割の水運のほうがずっと頼りになった
そんなわけで 安治川から大阪駅まで荷物を運ぶため
明治5年から新たな掘割が作られた
その掘割の出入り口に掛かった橋がこの「出入橋」
役目としても近代の橋だったのだ
掘割は昭和になっても拡張されたりして
いま残っている欄干は昭和10年竣工の石畳のもの
のち昭和40年ごろ
掘割は高速道路建設で埋め立てられ(やはりここも・・)
欄干だけが残された
さびれて放置されているけれど
なかなかいい感じで ずっと残って欲しい眺めだ
*一年以上の放置を終えてブログ名も決めて(いちおう)再開!