千日前の鉄冷鑛泉(むねすかし)
千日前にはよく名の知られた「法善寺」と
その隣の「竹林寺」があった
古い絵図にもそのままのっている
昔むかし 「竹林寺」入口のあたりで「鉄冷鑛泉」というのみものが売られていたという。鑛泉水つまりソーダ水だろう。織田作はこの字面に「むねすかし」とルビをふっている。当時みながそう呼んでいたものなのか?はわからない。
むねすかし⇔ラムネスカッシュ
ラムネスカッシュらむねすかっしゅムネスカッシュむねすかっし・・
早口で何度もいうと訛って、、という、あるあるパターン造語と思われる。
「天然(というふれこみの)炭酸水でしょ」という以上の関心は持たずにいたが、鍋井克之『おおさかぎらい物語』に、その、むねすかし小屋の絵があり、ほぉこんなんやったの と俄かに興味がわいた。
ちゃんと屋根がある。
今はアーケードのある千日前だが、当時は露天だ。
常時営業なら屋根は必要だ。
大正から昭和にかけてのことなのだから、もちろんすでにラムネもサイダーも売っていたが、それらとはまた少し違う珍しさだったのだろう。瓶詰よりも天然感があったのかもしれない。今の人だって、自販でさまざまな炭酸飲料が買えるけれど通りで天然だよと言われたら買って飲んでみるかも。それに座れるようだし、ここ。ちょっとした喫茶休憩所でもあったのか。ひとりでも入れるような。ドトールみたいな?
このむねすかしが、織田作以外にもいろんな当時のよみものにも登場しているだろうか。残念ながらいまのところ知らないでいる。
ところで「竹林寺」
法善寺の名は全国区で知られているかと思うが、その隣にあった竹林寺のことは、大阪人でもよう知らんかった人がいる。「知らんかった」と過去形にしたのは、今はもうそこに「竹林寺」は無いからだ。よう知らんかった人というのは私。
竹林寺は、数年前まではあった。
数年前までは千日前アーケードの入り口に、千日前通りに面して二重塔が聳えており、その塔の隣に有名な「法善寺横丁」があるのだった。ところが、肝心の法善寺というのはどこにあるのかよくわからない。ああ、あの二重塔か?と思って確かめると、そこには「竹林寺」と書かれてある。
は??
という、わかりにくいところだった、法善寺あたりというのは。よく知られた法善寺は見当たらず、よく知らない竹林寺がどんとある。
私はよその人ではないのだ。四半世紀ほど前にはここいらを通って中学に通った者なのである。しかし、そのときから既に、この、竹林寺と法善寺の存在に関しては謎であって、その後ン十年、いまだ、もうひとつ納得できていない。